アニメミライ2013のマッドハウス作品「デスビリヤード」。色々あってBDを入手して視聴してみました。
とても魅力的な作品なのですが、謎が謎のまま終わってしまっています。謎の部分がそのままだとどうにもモヤモヤしてしまうので、なんとか自分なりに考えてみようかと思います。
以下ネタバレ全開なので見ていない人は開かないでください。
作品紹介
アニメミライ2013 デスビリヤード
デスビリヤードでは次のような謎が残されたまま物語が終了しています
・男とお爺さんはゲームの結果でどこへ向かうことになったのか
・ビリヤードの目的とボールの図柄の意味
・伏せられたお爺さんとバーテンダーの会話
・お爺さんの笑顔
デスビリヤードが謎を残して終わることについては公式のQ&Aでも言及されていますが、これはリドルストーリーとして視聴者が自由に話しを補完してくださいということらしい。
デス・ビリヤード Q&A!
> 一種のリドルストーリーですね。
●そもそもリドルストーリーって何なの?
そもそもリドルストーリーというものが何なのか知らなかったので、リドルストーリーについてちょっと調べてみました。
wikipedia リドル・ストーリー
リドルストーリーというのは謎となっている部分を謎のままとして物語を終了し、読者自身に謎となっている部分を想像させる物語の形式のことのようです。
リドルストーリーの最も代表的な作品は「The Lady, or the Tiger(女か虎か)」という小説のようです。
原文と日本語訳は下記のサイトで読むことが出来ます。
The Lady, or the Tiger? (原文)
ghostbuster’s book web 女か虎か(翻訳版)
一通りこの「女か虎か」を読んでみて驚いたのですが、この小説とデスビリヤードはいくつかの共通点があるように感じます。
・二つの扉(エレベーター)がシンボルとして登場する
・相手を殺めようとするほどの女の嫉妬心が表現されている
・何が正解なのか分からないまま選択を迫られる
・最後の結果は謎のままで終わる
・登場人物に固有名は使われず、役割名で表現される
もしかするとデスビリヤードは、ビリヤードという要素でアレンジされた現代版「女か虎か」なのかもしれません。
●結局どっちが天国でどっちが地獄なのか?
バーテンダーの説明と、作中で男が「どっちがどっちなんだ?」「地獄はいやだ!」と叫ぶ姿を見ると、なんとなくこのゲームの目的が天国行きか地獄行きかを決定することにあるように思えます。
でも本当にそうでしょうか?
バーテンダーが語ったのは次のような説明です
・基本的に人間は死後、天国か地獄に送られる
・例外は数多くある
・同時刻に死んだ人間がここに招かれる
・裁定者が判別するためにこのゲームは行われた
上記の内容をよくよく考えると、バーテンダーは別にこのゲームによって天国行きか地獄行きかが決まるとは一言も言っていないように思えます。
それに単に天国行きか地獄行きかを決めるのであれば、わざわざ手間をかけずに通常の手続きで決めればいいだけのはずなので、たぶん別の目的があるんじゃないでしょうか。
では一体「同時刻に死んだ」という条件で何を決めたいのか?
個人的になんとなく思い浮かぶのは・・・もしかすると冥界の事務処理能力のキャパシティは限られていて、一度に複数の死者の天国行きか地獄行きを審判することが出来ないとか?閻魔様だって普段は1日にやっとのことで1000人裁ききるところに、突然1万人やってこられても困りますよね(笑
つまり冥界の事務処理を滞りなく遂行するためのトラフィックコントロールがBAR「クインデキム」の役割で、どちらか一方を冥界に送り、あぶれた一方にはお帰りを願う(お帰り先は後述)。
なんとなくそんな風にも思えてきます。
●デスビリヤードの意味、ボールの図柄の意味
デスビリヤードで使用されるボールにはプレイヤーの状態に連動した臓器の図柄が描かれています。
男は落とされたボールの臓器が奪われると思い込み、心臓を落とされることでの死を恐れていました。しかし最初のゲームの説明では「心臓を落とされても命が奪われることは無い」とされていますし、実際に心臓を落とされても死ぬことはありませんでした。(というかもともと二人とも死んでいる)
ではお爺さんが胃のボールを落としたときに感じた男の腹の違和感と、目のボールが落ちたときに感じた目のかすみはなんだったのでしょうか?
胃の違和感は後に刺された傷口のことだとわかりますが、ボールが落ちたタイミングでの気付き方は思い込みなどではなく、その時点での明確な変化があったように思えます。
また、お爺さんが倒れた際に男は心臓の鼓動が停止したことを確認していますが、男が心臓のボールを落とした後にお爺さんが蘇っています。(連動しているはずのテーブル上の心臓はお爺さんが倒れている間に動いていた)
そして一度ポケットに落ちたボールの図柄が動いているといった描写は見当たりません。
これらのことを考えてみると、実はデスビリヤードでは落とされたボールに描かれた「本来の肉体」が一つずつ蘇るということなのではないでしょうか。
そして最後に落とされる「8ボール」ですが、これは良く図柄を見てみると8というより「メビウスの輪」ですよね。
「メビウスの輪」はなんとなく輪廻転生をイメージさせる図柄です。
上記のボールの図柄の意味と、次の2点からデスビリヤードの意味と目的を考えてみます
・二人はそもそも命を失っている
・デスビリヤードは命を賭けて行うゲーム
二人が既に死んでいるのは間違いありませんし、「命を賭ける勝負」というバーテンダーの言葉が真実であれば答えは一つしかないように思えます。
つまりデスビリヤードは「死者が新たな命を獲得するためのゲーム」なのではないでしょうか。
ボールが落とされる度に本来の肉体を取り戻し、最後に輪廻転生の円環を得ることで再び命を獲得する。
このゲームのタイトルはデスビリヤードであってキルビリヤードではないのです。
●エレベーターに飾られていたお面の意味
それぞれのエレベーターの扉の上にお面(能面)が飾られています。
飾られているお面は、最後にお爺さんが乗った左が般若面で、男が乗った右が小面。
パッと見だと鬼の形相の般若が地獄行きを表しているようにも思えますが、般若面と小面はどちらも女性の面で、般若面は「嫉妬に怒り狂う女」の象徴だそうです。
女の嫉妬というのはデスビリヤードの作品中でも出てきますし、「女か虎か」では最も重要な核心的な題材とされています。
そして「女か虎か」では二つの扉のうち一方が「女が激しい嫉妬で怒り狂う扉」であることがことさら強調されているのですが、その扉というのは「選択した男が死から逃れ、新たな伴侶と新たな人生を手に入れる扉」です。
お爺さんが乗った般若面のエレベーターがもしも現世に繋がる転生の扉であるのなら、お爺さんは再び新たな人生と新たな伴侶を得ることになるのでしょう。
お爺さんが現世からクインデキムにやってきたのも般若面のエレベーターですしね。
今日はここまでで、続きは時間があるときにでも書きます・・・
ツイッターにリンクがなかったんで検索できました。
考察面白いです。
クインデキムは実際にはたくさんある場所のうちの一か所に過ぎない(名前が示唆している)ので処理能力説はアリだなと思いました。
続きの考察も楽しみにしてます。
私のツイッターアカウントはどうもURLがあると検索されない残念なアカウントのようなのでURLは抜いています。
続きはそろそろ書いてみます。
自分もこの作品大好きです。
1、男の回想シーンは彼女に殺されるシーンからどんどん若返っていきます。しかし、おじいさんは対照的に小さい頃から大人になる過程が回想シーンになっていきます。この違いはなんなんでしょうか?
2、おじいさんの回想シーンで、途中生徒をいじめているシーンがみれます。もしかしたらおじいさんは悪い人間?→最後の笑みにつながる?
3、途中、男の腹に包丁で刺された傷が再現されるようになったことから考えると、クィンデキムでの男とおじいさんの体の状態は、現世で殺されたままの状態と考えられます。その状態でなぜおじいさんはあんなにも体を動かせるのか。殴り合ってるし。おじいさん本人でさえ、寝たきりという発言をしていたのにも関わらず、、、
いやー、私気になります。
いやぁ、なかなか色々と考えさせられて面白い作品ですね。
1.そこは確かに気になるところですが、まぁ生きてきた人生の中で衝撃が大きかった出来事を起点として記憶が蘇るといった演出なのかなと思っています。
2.あのシーンは色々な考え方が出来るように作られている感じがしますね。お爺さんは根が悪人という考え方も確かにあると思います。
私はやさぐれた中学時代?から、高校時代?になると何故か突然ビリヤードの才能が目覚めるといった点が最後の笑みに繋がるのかなぁなどと思っています。
3.あくまであの世ですし、リンクした感覚だけという感じ(実際に刺されて死ぬほどの痛みならもっと悶えるでしょうから)もしますが、例えばお爺さんの寝たきりの原因が脳であった場合を考えてみるとどうでしょうか。お爺さんが脳のボールを落とされたのは倒れている間なのでその変化を読み取ることは出来ません。そして8ボールによって次の生に向けて肉体がリセットされる感じなのかなとも思えます。
もともと脳以外が健康であったのなら他のボールが落とされても問題無く体も動かせるのでしょうし。
まぁ結局明確な答えのあるお話では無いとは思います。