中国ボーカロイド・洛天依のオリジナル曲 「八辈子」 歌詞と日本語訳

中国のボーカロイド・洛天依(ルオ・ティエンイ)の原创曲「八辈子」。
とっても素敵な歌なので、歌詞と日本語訳などを書いてみます。

▼オリジナルはビリビリ動画
【洛天依民国风】八辈子【PV付】

 

 

 

曲名:八辈子(bā bèizi/バーベイズ)=長い時間
作曲:乌龟
作詞:果汁凉菜&乌龟
V PRODUCER: 挨批熊
PV:竹籽
ピアノ:乌龟
ギター:康师傅の海鲜面
二胡:EURICO-SAI

糯米香 穿过桥洞绕过瓦梁
哼歌谣 和着涟漪轻摇
もち米の香りが 橋の下を通り抜けて街並みを巡り
水面を軽く揺らしながら鼻歌を口ずさむ

莲蓬房 着碧绿衣裳
六月过半我把菱角拾满筐
ハスの花は深緑色の衣装を身に纏い
六月の半ば過ぎ 私はかごいっぱいに菱の実を拾う

好乘凉 捧一碟泥螺到桌旁
揣零钱 垆头沽酒二三两
涼しさは心地よく ひと皿の泥螺を手にしてテーブルの側へと運び
小銭を懐に入れて 酒屋に100gほどのお酒を買いにいく

煮薰豆 留半壶温暖
露水煎茶撒上一把白果碎瓣
煮薫豆を半分残して暖めて
煎茶の滴をイチョウの花びらに振り撒く

和爷爷划过小船
顶上红伞弯过好多弯
おじいちゃんと一緒に小船を漕いで
とっておきの赤い傘を何度もさしていた

那年圆月
如今在何方潇洒
あの年の中秋節の宴
今は何処で気ままに過ごしているのだろう

谁在望 晚风里的安详
喝下一杯蛋米小酒 思故乡
誰か眺めているだろうか この夕風の安らかさを
たまご酒を一杯飲んで 故郷を想う

门前小洛雀喳喳对话
共头顶知了一同扰攘
戸の前ではスズメたちがチュンチュンお喋り
頭上のセミも一緒に騒ぎ出す

紧凑针脚
把思念绣进荷囊
隙間無くつまった縫い目が
故郷への想いを荷袋へと縫い付ける

青梅子 埋进屋后酝酿
偶尔忆起儿时玩伴
时光流水般久长
青梅の実を軒裏に埋めて醸造していると
ときたま子供時代に遊んだ友人を思い起こす
歳月は流れゆく水のように遥かに長く遠い

桂花香 香气勾勒多少过往
捉迷藏 跑过长街短巷
桂花香 木犀の香りはどれだけの交際を結んだのだろう
鬼ごっこ 大通りや路地を駆け回っていた

洗衣塘 我双脚轻蘸
邻家门口鱼儿嬉弄笑说痒
洗濯池 軽く両足をつけると
隣の戸口の魚が悪戯にくすぐる

雕花窗 窗外看到多少来往
灯笼红 害怕它有天泛黄
飾り窓 窓の外にはどれだけの人通りが見えていたのだろう
提灯の赤い色 いつの日か色褪せてしまうのが怖い

收好你 栀子缠手环
只有兜里几块酥糖陪我远方
ちゃんとしまってある 梔子を巻いたあなたの腕輪
僅かな酥糖だけポケットに詰めて、私を遠い所まで連れていってくれた

现在我行走都市
街太漫长没有心思看
今の私は都会を歩いているけれど
街はあまりにも長すぎて眺める気にはなれない

那年圆月
如今在何方潇洒
あの年の中秋節の宴
今は何処で気ままに過ごしているのだろう

谁在等 离家孩子归还
喝下几杯无味的酒 便回想
家を離れた子供の帰りを 誰か待ってくれているだろうか
味気無いお酒を数杯飲むと すぐに思い返してしまう

四五小儿郎咬着青团
追着纸鸢转了好多转
四、五人の少年たちが草餅を咥えながら
凧を追いかけて何度も駆け回る

那年萤光
如今在哪里游荡
あの年の蛍火は
今は何処で飛び遊んでいるのだろうか

矮回廊 我沿着青石砖
枕竹椅听水声推桨
伴着蛙鸣入梦乡
低い回廊 石のレンガに寄り添って
竹の椅子を枕にして水の音に耳を澄ませ
蛙の泣き声と共に夢の中へと落ちていく

和爷爷划过小船
顶上红伞弯过好多弯
おじいちゃんと一緒に小船を漕いで
とっておきの赤い傘を何度もさしていた

那年圆月
如今在何方潇洒
あの年の中秋節の宴
今は何処で気ままに過ごしているのだろう

谁在望 晚风里的安详
喝下一杯蛋米小酒 思故乡
誰か眺めているだろうか この夕風の安らかさを
たまご酒を一杯飲んで 故郷を想う

门前小洛雀喳喳对话
共头顶知了一同扰攘
戸の前ではスズメたちがチュンチュンお喋り
頭上のセミも一緒に騒ぎ出す

紧凑针脚
把思念绣进荷囊
隙間無くつまった縫い目が
故郷への想いを荷袋へと縫い付ける

青梅子 埋进屋后酝酿
偶尔忆起儿时玩伴
时光流水般久长
青梅の実を軒裏に埋めて醸造していると
ときたま子供時代に遊んだ友人を思い起こす
歳月は流れゆく水のように遥かに長く遠い

【終】

 

 

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子供時代を過ごした江南地方の故郷と、共に遊んだ友人達を懐かしむ歌のようです。
こういった望郷の歌には弱いんですよね・・・。
何気に言和も一緒に歌っています。
相変わらず歌詞はまだまだ私には難しいので、訳はいい加減なところがあります。
馴染みの無い固有名詞も多いので、その辺りも一緒によく分かってないところをメモ書き。

「泥螺(níluó/ニールォ)」というのは江南地方に生息する巻き貝の一種みたいです。
「垆头沽酒二三两」の「二三两」の辺りは最初2、3本購入したという意味かと思いましたが、よく見ると「两」というのは重さの単位でもあるんですね。大体一两は50gくらいらしい。
泥螺は酒漬けにして食べるのが一般的らしいので、泥螺の調理用に少量購入したという意味なんだろう。たぶん

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「顶上红伞弯过好多弯」の「弯(曲げる)」も、「傘をさす」という意味でいいのかどうかはっきり分からないのですが、お気に入りの赤い傘を開くのが楽しみで何度もさしたという意味なのだろうと勝手に想像しています。
単に折れ曲がったという意味かも・・・。
「如今在何方潇洒」の「潇洒」は、日本語の辞書やネットで調べても「おしゃれ」とか「垢抜けた」という意味しか出てこないのですが、「今はどこでおしゃれしてるのか」だとちょっと変だなぁとずっと悩んでいました。
試しに中英の辞書で調べてみると「unrestrained(縛られない、自由気ままな)」という意味があったので、そっちだとしっくりくる感じ。まぁ、「どこかで元気にしてるだろうか」程度なのかも。

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「小洛雀」は一番よく分からないのですが、「小洛」ってどういう意味なんだろう。
幼い天依と雀がお喋りしているという意味なのだろうか・・・。
でも名前が出てくるとも思えないし、よく分からないのでとりあえずイラスト的にスズメだけ。

「时光流水」は字面的にパッと「光陰矢の如し」が思い浮かんでしまうのですが、どうも時間の流れの速さよりも、流れゆく水のように遠くに押し流されてしまってもう戻ることは出来ないといった意味が強いようですね。
「酥糖(sūtáng/スータン)」はヌガー状のお菓子みたいですね。
名前はよく覚えていませんでしたが、一回誰からお土産で貰ったことがあるような気も。
個人的にはヌガー系のお菓子はちょっと苦手。牛軋糖も・・・。
「枕竹椅听水声推桨」の「推桨」は「漕いで進む」という意味のようですが、前後との繋がりでどういう状況なのかが若干よくわかっていません。石レンガの水路を小船を漕いで進んでいるのかもしれませんが、そこで眠るのだろうか・・・。
うーむ

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中国の地理には疎いのですが、どうも江南地方には水路を巡らせた水の都が多いようですね。
ちなみに私の実家の近所にも水路や川が沢山あって、友人と魚を取ったり上流を探索したりとよく遊んでいて記憶の中では結構美しい思い出なのですが、大人になって戻ってみると見事にドブ川になっていて結構ショックでした。
江南地方の街並みは凄く魅力的なのですが、現在は水路も水質汚濁が激しいようで残念です。
川は綺麗であって欲しいものですね。

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この曲は歌詞もイラストもとっても素敵で大好きです。

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6 件のコメント

  • 言和の『昔巷舊夢』と似たテーマの曲ですね。どちらにも「門前の雀」が出てくるし。
    『昔巷舊夢』は昔を省みて惜しむ、悔やむといった感じが強いので、よりしっとりとした感じですが、この『八辈子』は清らかな乙女がひらひらと舞っているような感じで、とても軽やかに感じます。

  • 非常感谢!!!没想到自己的词可以被日本友人翻译www很开心ww也很佩服博主对中国文化的了解,我自己也很喜欢日本文化!!希望有机会可以交流一下ww【但是我没有twitter…… 新浪微博可以嘛hhhh
    邮箱的话……已经好久没有用了[絵文字:v-7]

  • >果汁凉菜
    Thank you for your very very beautiful Lyric!!
    I don’t understand Chinese,but your Lyric sound very moving for me. I repeat and repeat this song every day.
    especially,I like words ”门前小洛雀喳喳对话 共头顶知了一同扰攘".

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